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庶民の味方、牛丼!自宅で作るちょっぴりこった牛丼レシピ!

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あー、今日は疲れたー、ご飯作るのめんどくさいー・・
お、吉野家じゃあないか。
今日は牛丼ですませよー。

恐らくおじさん世代が若い頃には考えられないくらい、
今の人たちには牛丼が根付いていると思います。

中学生でさえ簡単に食べられるその価格と、
すぐに出てくるというあの利便性で一気に広がりました。

この牛丼、明治時代に出てきますが、最初は味噌味でした。
これは当時の牛肉の質があまり良くなく、獣臭さが強かったため。
みそとねぎでその臭さをなんとか緩和しようとしたようです。

上述の通り、牛丼で有名な吉野家の操業は1899年。
魚河岸の人々に親しまれていたようです。
そんな吉野家ホールディングスも、2013年は減収減益。
資本主義にもまれると、やり方によっては歴史の深さなどは吹き飛んでしまうのですね。
中々難しいものです。

ちなみに、沖縄の吉野家には沖縄限定でタコライスというメニューがあります。
ちなみにちなみに、富士山の5合目の山小屋の名前は「吉野家」です。

安い吉野家。サラリーマンの味方。
巨人から戦力外通告を受けた辻内崇伸なんかも今頃牛丼とかでしのいでるのかな・・・。

と、いうことで、家で作る方が高くつくかもだけど、
手作りのおいしさを期待して!
こだわりの牛丼のレシピです!

ingredients
牛肉(こま切れ) 400g
たまねぎ 1個
砂糖 大匙2
みりん 大匙2
だし汁 1と1/2カップ
赤ワイン 大匙2
しょうゆ(うすくち) 大匙2
しょうゆ 大匙2
おろししょうが 小匙1
ごはん 茶碗2杯分

3min
■牛肉は一口大に切り、たまねぎをくしぎりに切っておく。
■砂糖〜おろししょうがを鍋に入れて混ぜ、弱火でひと煮立ちさせる。
■たまねぎを入れて、軽く(1分ほど)煮る。
■その後牛肉を加えて、煮立ったところでアクをとり蓋をして中火で煮る。
■10分程煮込んだら盛り付けたごはんに乗せて完成!

tips
+アクをしっかりと取り除くこと!

こんな飯は?

オクラは日本の野菜じゃないんです。なぜか古くから日本にあるように思われてます。

オクラ納豆

「オクラ」というとなんとなく語感から日本語のように思えるかもしれません。

ところが実は「okra」という英語をそのまま言っているだけです。

もっとも英語のネイティブスピーカーに発音してもらうと「オックラー」という感じでしたが。

 

オクラが日本に入ってきたのはアメリカからですが、原産地はアフリカの北のほうとのこと。

アメリカで栽培されるようになったのは、アフリカからの奴隷が育て始めたのがきっかけだったようです。

日本に古くからあるイメージを持っている人も多いと思います。

しかし、沖縄や鹿児島など一部の地域を除いて日本全国に普及したのは昭和50年代ぐらい。

つまり、わりと新しい外来野菜なんですね。

 

私は沖縄に住んでいたことがありますが、熱帯原産の野菜だけあって沖縄のオクラは大きくてとてもおいしい。

本土では10cmに満たない八角形のものしか見られませんが、沖縄には丸くて10cm以上あるものや、赤銅色というか、ちょっと暗い赤の品種も売られています。

オクラを刻むと出てくるねばねばは食物繊維で、コレステロールを減らす効果もあるとのこと。

私が好きなオクラの食べ方は、生のまま細かく刻んだものをさらに叩いて粘りを強く出し、納豆にまぜてご飯に乗っけるというもの。

暑い季節にはめんつゆに刻んだオクラを混ぜてそうめんや冷麦を食べるのも好きです。

もう一つ、インド料理の本に出ていた料理もよく作ります。

細切りにしたたまねぎをじっくり炒め、オクラを加えてスパイスを加えるというカレー風味。

なぜかオクラが日本の野菜だと思っている人に教えると意外そうな反応が返ってきますがオクラとカレー味はよく合います。

こんな飯は?

花嫁修業の第一歩!簡単おいしい魚の煮つけの作り方!

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煮付けは和食の代表といっても過言ではない、とてもポピュラーな料理です。
その始まりは恐らく火を使うようになって間もないのではないかと思います。
ちなみに人類が火を手にしたのは、自然災害(雷など)がその始まりだと考えられています。

煮る、という調理方法は生魚が保有する細菌を殺す役割を持ち、
人間の長寿命化にも一役買ったと考えられます。

ちなみに火の国といえば熊本県のあたり。
律令制以前の国の名前で、火国もしくは肥国と呼ばれておりました。
これが律令制によって分割され、肥前・肥後となります。

ところで火といえば「火の用心」。
空気がからっからの冬の夜にはよく大人たちがこう叫びながら注意を促して歩いたものです。
この「火の用心」、実は最初に使われたのは戦国時代でした。
有名な長篠の戦いのさなか、故郷で待つ妻へあてて送られた手紙の中に出てきます。
これが歴史上初めて使用された現存する最古の記録とのこと。
特に火事の多かった江戸時代には一般的に使用されていたようです。

ということで小ネタの応酬でしたが、こういう会ではレシピもしっかりと。
本日は花嫁修業にうってつけ、魚の煮つけのレシピです。
お魚さんはたいを使ってみました!

ingredients
たい 1匹分
酒 大1.5
白だし 大1.5
しょうゆ 大1.5
水 1/2カップ
みりん 大1.5
しょうが 半かけ

3min
■たいは3枚におろして隠し包丁を入れておく(最初からおろされたたいを使ってももちろんOK)。
■しょうがは薄切りにし、鍋に酒〜みりんを入れてたいの身を並べ、しょうがを上にのせる。
■落し蓋をして弱火で煮る。
■沸騰してきたら火をさらに弱め、3分程度にて完成!

tips
+落と蓋は必ずすること!
+煮過ぎないこと!せっかくのたいが硬くなってしまいます!

こんな飯は?

銀座の寿司。かつて麻布で店を営んでいて、満を持して銀座に乗り込んできた「野じま」がおすすめ

銀座の寿司

日本各地に寿司店はあるが、「銀座の寿司」となれば、大看板の一つである。


銀座の寿司がこれほどまでにもてはやされるようになったのには、色々と理由があるがその一つが鮮魚卸との関係だとも言われている。


つまり、築地に入ってくる非常に素晴らしい魚、なかでもマグロを扱う卸が「銀座の一定以上の格の店で無ければ取引しない」などと言って取引先を吟味し築地に入る最上級の品を食べるためには、銀座のしかもトップクラスの店に行かないと味わえないという時代が存在していたのだ。


しかし、そのような取引先を選べる時代は、バブル崩壊とともに終了となる。
「社用族」という、コスト意識を全社員が持つことが当然となった今のご時勢では死語となったこの言葉が、普通に使われていたバブル期に、まさに社用族で反映していた銀座だったがバブル崩壊とともに、社用族が激減しお店にとって厳しい時代が到来することとなる。


それは同時に、卸の業者にとっても取引先を選んでいられない状態に突入したことを意味した。

その結果、最上級のネタが様々な場所に供給されるようになり都内各地にも新たな寿司の名店が誕生することとなったのだった。


近年では都内の一定の格の寿司店ならば、ネタの差は生まれにくくシャリとのバランスや、ネタの管理、さらに握り前に出す軽いつまみなどが、店の評価の多くを占めることとなった。


それでもなお、銀座に店を構えるというのは、多くの寿司職人の憧れであり、食べ手側にとっても大きな意味を持つ。
銀座の寿司店にも様々な格はあるが、ガラスのショーケースなどの無い、いわゆる高級点ならば値札などは無くお任せで頼んで
安くても2万5000円くらいを覚悟しておく必要がある。

しかし、それだけを払っても「寿司とはこんな食べ物だったのだ」と、再認識させてもらえるだけの味を体験することが出来る。
廻っている寿司だけ食べて寿司と思うのもよいが、本物を知っているのと知らないままで過ごすでは雲泥の差がある。

とはいえ、いきなり銀座の寿司店に行くには度胸がいるのも事実。
ならば、若いお客さんの多い麻布の寿司店に行って、本物の寿司を体験するのも一つの足がかりだと思う。

いやいや銀座の店で…というならば、何も超有名店にいって緊張して食べる必要は無いと思う。
個人的にオススメなのは、かつて麻布で店を営んでいて、満を持して銀座に乗り込んできた「野じま」というお店。
銀座7丁目の地下1階にある6席ほどの小奇麗かつ小所帯な店だが、とにかく料理の質は高い。

また、マグロには並々ならぬこだわりを持っているので、マグロ好きな人には満足度が高いだろう。
とにかく、怖がらずに一度足を踏み入れて、新しい食の世界を広げてみてもらいたい。

こんな飯は?