「麺」カテゴリーアーカイブ

つくね談「レシピ、つまりは作り方でつみれとは分けるのよ!」

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今日はつくねにスポットライトをぴかーん。

先日鍋をつついていてふと疑問が。
あれ、これってつくね・・?いや、つみれ・・・?
??
実は同じじゃない??

いえ、違うんです。
その違いは作り方にあります。

つみれ・・スプーンですくい形をつくったもの。摘み入れる、が語源。
つくね・・手などでこねこねして球状にしたもの。つくねる、が語源。

魚介と肉類の違いではなく、作り方での分別が正しいそうです。

ちなみに、つくねるは捏ねると書きますが、これはこねるとも読みます。
そんなこねてできるものにパン(焼く前にこねるよね)がありますが、
原料である小麦粉には種類があります。
小麦粉にはグルテン量によって分類があり、最も粘り強さがでる小麦粉を最強力粉というようです。

最強力粉・・

じっと見てると、なんと言うか、名前がとってもイイ・・・。
小麦粉→強力粉→最強力粉・・・。
ドラゴン○ール的なインフレ感を彷彿とさせるネーミングだ・・・。
・・・ォ、オラ、わくわくしてきたぞ!!!
・・・ただの余談です。はい。

話は戻ってつくねは余っても再利用が可能なとってもらくちん食材です。
簡単に中華スープの具になっちゃう。

実は主婦や一人暮らしの味方かもしれない。つくね。
でもスプーンですくわれただけでつみれになっちゃう。つくね。
軽いノリで仕事をするからちょっと腹立つんだけど、いると場が明るくなるから憎めない。
つくねってそんなやつかも。
皆さんの周りにもそんなつくね人が一人はいるはず。
今度会ったら無意味に頭でも捏ねてやりましょう。

ではまた。

こんな飯は?

二郎本店。小学生のころにチャレンジした。結構瀕死の状態で店を出たことを覚えています。

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最近、ラーメン二郎のラーメンは「二郎」という食べ物だ、と言われています。
今ではあちこちに「二郎」の支店(のれん分け?)とか「二郎インスパイア」の店とか数多く見受けらるようになりました。
二郎インスパイア系はたまに入ったりしますが、支店の系列はこのところご無沙汰してしまっています。

私自身は熱烈に二郎を語れるほどに行ってはいませんし、そこまでの域に達していないことも自分で重々承知しています。
そんな私が二郎のことを語るのは、多少心苦しいですが、ちょっと聞いてもらえるとうれしいです。

私がまだ小学生の頃です。
巷にはまだ豚骨醤油なんかほとんど出ておらず、つけ麺といったらつけ麺大王、ラーメンといったら醤油に煮干しの時代です。

そんな頃、自宅から歩いて10分ほどのところに行列しているラーメン屋を見かけました。
それが「二郎」でした。ついでに言えば、当時二郎といえばそこしかありませんでした。
いわゆる「本店」です。
ラーメンは当時から大好きな食べ物でした。すごい気にかかりました。そんなとき、友人から一緒に行こうとお誘い。ちなみにまだ小学5年生です。そんなガキが、当時からいたであろう数々も猛者達と一緒に、三田の歩道に並びました。

メニューは、ラーメン、全部入りラーメン、ほかになんかあったような気がしますがあまり覚えていません。
今では「ニンニクましまし」とかなんかいろいろ注文時に言うことが決まっていますが、当時はなかったのではないでしょうか。

ただ、「味濃いめに」というのは言ったほうがイイと言われていたので、席についたらそう言いました。
おやじさんは無口にひたすらラーメンをつくってて、私の言ったことを聞いていたのかどうか、今でも定かではありません。

しばらくしてラーメン到着。思わず、ゲ!
のっている野菜の量が半端ではない。麺が見えない。現在、いろいろなラーメン関係のブログをみると、ブロガーさん達が「天地返し」という技を使っていますが、その当時なんてそんなこと考えようもありませんでした。とにかく必死で野菜を食って麺にたどりつかなくてはなりません。

しかし、熱い。スープも野菜も非常に熱かった。舌をやけどしそうになりながら野菜やらスープやら麺やらを喰らい、結構瀕死の状態で店を出たことを覚えています。
正直いえば、あの当時の二郎を再現している店は私が行った(数少ないですが)なかでは未だ出会っていません。
とある支店にいたっては、店がきれいすぎるし、野菜の盛りも、そんなもんだったけ?という感じでした。インスパイア系も同じくです。

歳を無駄に重ねたおじさんの、単なる記憶の美化かもしれませんが、あの頃の二郎、もう一度だけ出会ってみたいという気持ちはあります。

こんな飯は?

ラーメンが早く食べたい!妊娠中、つわりでカップラーメンの化学調味料の味が嫌になってしまった。

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私はラーメンが大好きな主婦です。
週に1回はラーメン屋で食べるほどです。自宅でも袋ラーメンやカップラーメンをよく食べていました。

それが、妊娠・出産を機に大きくラーメン事情が変わってしまったのです。

まず、妊娠中、つわりのために、あんなに大好きだったラーメンのにおいがダメになってしまったんです。
つわりが落ち着いてからは、食べるようにはなりましたが、カップラーメンの化学調味料(だと思われる)の味が嫌になってしまったのです。外食ならOKでした。
子どもに悪いかも?という心理的な影響もあったかもしれません。

そして出産後。ラーメンなんて作れません!こどもがいつ泣き出すかわからない状況では、せっかく作っても食べられず・・・ということを繰り返します。

さぁやっと食べられるというときにはのびにのびきっています。また、授乳中のため、やはり栄養が気になりカップラーメンは食べる気になりません。
外で食べようと思っても、乳児をつれてのラーメン屋はとても抵抗があります。ショッピングモールのフードコートのラーメン屋なら乳児連れでも抵抗がない!と思い、夫と一緒にベビーカーのわが子を連れてラーメンを注文。
久々のラーメンを楽しもうと思ったら、ものすごいギャン泣き!結局授乳室へ行くこととなりラーメン断念。授乳したばかりだったのになぜかそのタイミングで泣き出すわが子。

早くおいしいラーメンが食べたい!

こんな飯は?

冬の夜食、味噌煮込みうどん。受験生の想い出。化学が苦手だった。

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1年で一番寒い季節の記憶にあるのは、受験生だった頃、ほぼ毎日のように食べていた、夜食の味噌煮込みうどん。

今ではもう販売されていないけれど、当時は、アルミ鍋に緑の針がねの取っ手がついたインスタントの味噌煮込みがあった。
葱に卵がお約束。時には油揚げも入っていたっけ。

自分で作る事もあったけれど、大抵は母が作り、部屋まで運んでくれたなあ。時間はいつも夜10時頃。
よくもそんな時間に、味噌煮込み1人分、食べたものだと、思い出しては呆れてしまう。
今の私ならば、そんな無茶はとてもじゃないけど、ありえない。

若さって奴ですか。それと、やっぱり、それなりに受験勉強をしていたのだと思う。
夜食を食べて、息抜きついでに窓を開けて、冬の夜空を眺めた。

寒空のなか、ひときわ強い光を放っていたシリウスの美しさ、よく覚えているよ。
苦手な数学、何度トライしても覚えられない化学式、好きだった英語、楽しかった歴史。
あの頃は、受験勉強が、人生の全てだった。それ以外の生き方なんて、想像もできなかった。

でも、過ぎてみれば、とっても小さな人生の一コマで、懐かしく、ちょっと愛おしい。
もしも、タイムマシンがあって、あの頃の自分に会えるなら、「だいじょうぶ。人生、そんなにこわくないよ」と伝えてあげたい。

そして、傍にある、母の作ってくれたインスタントの味噌煮込みを、食べたい。

こんな飯は?